晋州市で晋州城跡を観光する
なにかの思いつきで私の父が行こうとなった今回の晋州市行き。
祖父の残したいろいろなことに感動して興奮覚めやらぬまま、少し晋州観光も。
お腹はいっぱいなので、名物の鰻はあきらめましたが、
また来たいので、鰻は次回のお楽しみにするとして、晋州城に行くことにしました
城というか、城跡です。
文禄の戦いの戦闘地だったそうです。
今は公園や国立博物館みたいになってます。
ここから晋州市を流れる南江がよく見えます。
ケナリがきれいに咲いていました。
ケナリは、レンギョウです。
公園は広くて城跡がいくつか。
向こうに見えるのが入り口です。
城壁のあとです。
子供たちは、車移動でたいくつしてたから走り回ってましたよ
スポンサードリンク
晋州城の直石楼とは
晋州城は、文禄・慶長の役の最激戦地とも言われています。
何度も戦火にさらされました。
現在の建物は1960年に再建されたものだそうです
韓国南部では最も美しい楼閣と称えられています。
その立派な楼閣が直石楼です。
直石楼チョクソンヌといいます。
実はこのチョクソンヌには悲しいお話があるのですよ。
こちらは直石楼の入り口です
こちらで宴をしたり、勉強したりしたそうです。
直石楼の下に、南江(ナムグヮン)に突き出た岩があります。
義岩です。この岩には、日本軍の武将、毛谷村六助を道連れにして、南江に身を投げた義妓、
朱論介(チュノンゲ)の悲話というのがあります。
その悲話は、1593年、晋州城が陥落した際、宴に駆り出された朱論介(ジュ ノンゲ)が、侍頭の毛谷村六助を泥酔させた上で、この岩の場所まで誘い出し、手が離れないよう、しっかりと指輪で繋いで身を投じたという物語です。
韓国では広く知られた悲話で、論介に関する有名な詩や歌謡曲が流行したと言います。
私も子供のころにこの話を聞いたことがあって、そのときはどういうことか
よくっわからなかったのだけど、とにかく、攻められた屈辱を晴らした
韓国女性の意地だったのでしょうね。。
柱の装飾が見事でした
時間がなかったので、ほんとにさらっと散歩して後にしましたが、ここは祖父の書いた自叙伝にもでてきてた場所なので、私にとっては感慨深いものでした。
また晋州に来たいなあと思いました。
たぶん、みんなそう思ってるはずです。
このあと釜山に戻りました。