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子連れ海外旅行

韓国は慶尚南道の晋州市の晋州城を観光で子連れ旅⑨

 

晋州市で晋州城跡を観光する

なにかの思いつきで私の父が行こうとなった今回の晋州市行き。

祖父の残したいろいろなことに感動して興奮覚めやらぬまま、少し晋州観光も。
お腹はいっぱいなので、名物の鰻はあきらめましたが、
また来たいので、鰻は次回のお楽しみにするとして、晋州城に行くことにしました
 城というか、城跡です。
文禄の戦いの戦闘地だったそうです。
今は公園や国立博物館みたいになってます。
ここから晋州市を流れる南江がよく見えます。
ケナリがきれいに咲いていました。
ケナリは、レンギョウです。
公園は広くて城跡がいくつか。
向こうに見えるのが入り口です。
城壁のあとです。
子供たちは、車移動でたいくつしてたから走り回ってましたよ
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晋州城の直石楼とは

晋州城は、文禄・慶長の役の最激戦地とも言われています。
何度も戦火にさらされました。

現在の建物は1960年に再建されたものだそうです
韓国南部では最も美しい楼閣と称えられています。

その立派な楼閣が直石楼です。

直石楼チョクソンヌといいます。

実はこのチョクソンヌには悲しいお話があるのですよ。

こちらは直石楼の入り口です
こちらで宴をしたり、勉強したりしたそうです。
直石楼の下に、南江(ナムグヮン)に突き出た岩があります。
義岩です。この岩には、日本軍の武将、毛谷村六助を道連れにして、南江に身を投げた義妓、
朱論介(チュノンゲ)の悲話というのがあります。
その悲話は、1593年、晋州城が陥落した際、宴に駆り出された朱論介(ジュ ノンゲ)が、侍頭の毛谷村六助を泥酔させた上で、この岩の場所まで誘い出し、手が離れないよう、しっかりと指輪で繋いで身を投じたという物語です。
韓国では広く知られた悲話で、論介に関する有名な詩や歌謡曲が流行したと言います。
私も子供のころにこの話を聞いたことがあって、そのときはどういうことか
よくっわからなかったのだけど、とにかく、攻められた屈辱を晴らした
韓国女性の意地だったのでしょうね。。
柱の装飾が見事でした
時間がなかったので、ほんとにさらっと散歩して後にしましたが、ここは祖父の書いた自叙伝にもでてきてた場所なので、私にとっては感慨深いものでした。
また晋州に来たいなあと思いました。
たぶん、みんなそう思ってるはずです。
このあと釜山に戻りました。